LOGIN真っ直ぐに俺を射抜いてくるその瞳に、背筋にヒヤッとしたものが走る。
こういう目をしている時の先生は、少なからず怒っている事が多い。 俺が未だに同じ事でウジウジとしているから、呆れられているの、かも。 「……見ましたけど」 「もしお前に資格がなかったら、あの偽後継者候補みたいに消し炭になってた。でもあの時、お前はなんて言った?」俺が初めて火種と対面した時──
あの時は、俺は何が起きているのかも、これから何が起きるのかもサッパリわかっていなくって。 けれど、眼の前で燃え盛る火に触れようとした女が突然燃え上がって叫びながら焦げていった光景は、今でも忘れようもなく脳裏に焼き付いている。「……あったかいって、言いました」
「だよねー? 篝火に選ばれた人間はみんなそういう反応をするんだよ」あ、でも他の家の篝火に触ったら燃えちゃうから試しちゃ駄目だよ!
さっきまでの真剣な目を緩めて、先生が茶化す。 あの女は──先代明神家当主の落胤だと名乗る女だった。 先代の刀主は子供を遺さずに若くして亡くなったから、財産目当てのそういう輩は初めての事ではないと。 先生に連れられた俺はそんな事情もよく分からず、困惑しながら先生を見ていただけで。 でも、あの時先生が「下らない。本当に先代の子かどうかなんて、篝火に聞けばいいんだよ」
と言い捨てた時の冷たい目は、今では想像も出来ないくらいの鋭さだった。
俺が火に手を伸ばし、「あったかい」と呟いたその時には、それはそれは優しく笑ってくれたっていうのに。 本当に、なんというか……俺の異人の多いこの帝都でも見ることのない、白髪とは違う真っ白な髪。
目は見えているはずなのに、色がないように見えるくらいに薄く、虹彩がないかのような、真っ白な瞳。 抜けるように白く、時折青い血管が透けて見える肌。 それ故に日光に弱く、太陽が出ている時には彼はほとんど灯楼で過ごすか、頭巾のついた外套を羽織って顔を出す事もない。そんな先生を、口さがない者は「あの灯守こそが夜住の頭目だ」と言ったりもしたものだ。
あの白い肌には、彼がまだ刀を持って戦っていた頃に受けた傷がいくつもついているというのに。 ただ少し、人と違う外見だというだけで、噂話が絶えることはない。「あ、いたいた! せんせー! お兄ちゃーん!」
「和穗……来たのか」 「やぁ、ハルくん。昨日の夜はお疲れ様」 「いえ」ほんの少し気まずい空気をぶち壊したのは、廊下をドタドタとやかましく駆けてくる和穗の大声だった。
いい年齢の女性だというのに、アイツはいつまでも子供っけが抜けない。 あんな大声を出しながらドタバタと走り回れば、はしたないと叱る大人がいてもいいものだが。……まぁ、アレはアレで、御神苗の次期当主だ。
彼女に物申せるのは、その背後に音もなく控えている大男くらいのものだろう。 俺は、知れず深く深く、ため息を吐いていた。──神風直紹。 年齢は確か俺とハルよりもよっつかいつつくらい上で、それでもかなり若い方の当主だ。 伏せられているのか細められているのかも分かりにく狐目は鋭く、何かあると俺たちを叱りつけてくる。 言っていることは大体正論だから俺たちも黙るしかないのだが、正直鬱陶しいと思う時もある。 なんだろうか。 母親に叱られている時のような感覚、とでも言うべきだろうか。 こんな刀主では彼女も大変だろうな…… チラリと彼の背後に居る小さな灯守を見れば、灯守の証である角灯を腰に下げた少女は慌てて俺達に頭を下げた。 名前は確か、日向子と言っただろうか。 つい最近の刀主会で紹介された時には、まだ15だか16だかだと聞いた。 彼女が突如神風さんの灯守に抜擢されたのは──神風さんの灯守が死んだからだ。 元々はかなり大柄の、灯守とは思えない筋肉質な男だったのを覚えている。 神風さんが幼い頃に決まった灯守で、まるで家族のように育った男だったとか。 その灯守が不意に死んだことで、神風家は次に真逆の灯守を彼にあてがった。 本来、刀主を選ぶのは灯守で、灯守を見つけるのは刀主のはずだ。 しかし神風さんは自ら選ぶ余裕も時間もなく、先代当主の選んだ日向子と番を結んだ。 俺は、あの時の神風さんの憔悴ぶりを知っているから、少しばかり彼に苛ついたとしても口を引き結んでしまう。 家族同然だった灯守を喪うということはこういうことなのだ、と、想像するだけで恐ろしかったからだ。 俺だってきっと、帳先生やハルを喪えばあんな風になってしまうだろう。「日向子」 「は、はひ! 申し訳ありません! 神風の灯守、日向子と申します! 未熟者ですが神風の領域を守るために尽力して参りますので、何卒よろしくお願いいたします!!」 「あぁ、はい……」 俺の背後で、和穗が平和に「可愛い~」なんて言っているが、日向子の顔
「ハル。いい加減ソイツをちゃんと躾けろ。はしたない」 「もう諦めてんだ、こっちは」 「ちょっと、酷くない!?」 ハル。 先生に負けず劣らず、若い小麦のような髪色に土のような肌をしている、この帝都では異質の風貌の男。 彼は和穗の灯守であり、異国人との混血であるらしい。 喋る言葉は完全に日本人のそれであるのに、ハルもまた外見だけで損をしている者だ。 ──だけでなく、俺は未だにアイツの本名をきちんと発音出来ない。 ハルも「ハルでいい」と言うからそのままにしているが、そろそろ本名の方を忘れてしまいそうだ。 ハルとは俺が明神家に連れてこられてからの付き合いで、それももう10年になる。 それだけの年月を一緒に過ごしているというのに、正しく名前を発音出来ないというのも、恥だろう。「ハル……ふあ、はるは……うーん」 「どしたのお兄ちゃん」 「いや、やはり発音が難しい名だと改めて思って」 「今更じゃん?」 「なんかねー、ソウくん今日そういう日みたいよ」 廊下の影に入りながら、ちょっと意地悪げに先生が言う。 「そういう日」……確かにそうかもしれない。 なんとなく、本当になんとなくだが、胸がザワザワとしてつい、過去のことを考えてしまう。 自分がここに来た日のことや、先生との出会い、ハルの名前。 そんな些細とも言えることが、どうして今更気になるのだろう。「あたしは言えるよ! ひゃるなへす!」 「一文字も合ってないが」 「ファルナセス、だよ和穗ちゃん」 「なんで先生は言えるんです……」 「年季が違うんだな~年季が!」 「だからハルでいいって」 ファルナセス。 頭の中ではなんとなく文字に出来る名前が、こんなにも言葉にしにくいなんて。 異国の言葉はなんと難しいのだろうか。 もしかして、舌や口の作りからして我々とは違うとか、あるのかもしれない。 俺は先生の後ろをついていきながら、悩む。
真っ直ぐに俺を射抜いてくるその瞳に、背筋にヒヤッとしたものが走る。 こういう目をしている時の先生は、少なからず怒っている事が多い。 俺が未だに同じ事でウジウジとしているから、呆れられているの、かも。 「……見ましたけど」「もしお前に資格がなかったら、あの偽後継者候補みたいに消し炭になってた。でもあの時、お前はなんて言った?」 俺が初めて火種と対面した時── あの時は、俺は何が起きているのかも、これから何が起きるのかもサッパリわかっていなくって。 けれど、眼の前で燃え盛る火に触れようとした女が突然燃え上がって叫びながら焦げていった光景は、今でも忘れようもなく脳裏に焼き付いている。「……あったかいって、言いました」「だよねー? 篝火に選ばれた人間はみんなそういう反応をするんだよ」 あ、でも他の家の篝火に触ったら燃えちゃうから試しちゃ駄目だよ! さっきまでの真剣な目を緩めて、先生が茶化す。 あの女は──先代明神家当主の落胤だと名乗る女だった。 先代の刀主は子供を遺さずに若くして亡くなったから、財産目当てのそういう輩は初めての事ではないと。 先生に連れられた俺はそんな事情もよく分からず、困惑しながら先生を見ていただけで。 でも、あの時先生が「下らない。本当に先代の子かどうかなんて、篝火に聞けばいいんだよ」 と言い捨てた時の冷たい目は、今では想像も出来ないくらいの鋭さだった。 俺が火に手を伸ばし、「あったかい」と呟いたその時には、それはそれは優しく笑ってくれたっていうのに。 本当に、なんというか……俺の灯守は、得体が知れない。 異人の多いこの帝都でも見ることのない、白髪とは違う真っ白な髪。 目は見えているはずなのに、色がないように見えるくらいに薄く、虹彩がないかのような、真っ白な瞳。 抜けるように白く、時折青い血管が透けて見える肌。 それ故に日光に弱く
翌日、たっぷりと睡眠をとってから俺は灯楼へ向かった。 灯守の持つ角灯の中で揺らめく灯し火の火種。 その火種が常に輝いている場所こそが、灯楼だ。 文字通り塔のような高い櫓の一番上には、一際大きな篝火が敷地内を照らしている。 火族四家の屋敷の中にあるこの灯楼が照っている間は、帝都に問題は起きていない。 灯楼の篝火がいつから輝いているのかは知らないが、その言葉は耳にタコができるほど聞かされた。 俺がこの明神家に迎えられた時、初めて見せられた大きな篝火。 この火が消えるのは、火族として選ばれた家の当主が絶えた時だと聞いた。 昔は、この篝火を焚いているのは五家あったのだ、とも。 けれどその五家目は夜住との戦いで滅び、今では過去の存在になっているのだと、先生は言っていた。 いつか、この明神家の篝火も潰えるときが来るのだろうか。 下から灯楼を見上げつつ、そんな事を思う。 今は俺が次代当主として選ばれてはいるが、俺の子や、さらにその子が明神の灯を絶やさないとも限らない。 それに俺は、そもそも明神の血統ではないのだから──もしかしたら、俺が継いだ途端に火は消えてしまうのかも。「何ぼけーっとしてるの? ここじゃ稽古はしないよ」 「先生を迎えに来たんですよ」 「それにしちゃあ、ぼんやりと見上げてたじゃない」 灯楼の一部が割れるようにズレて、中から寝巻きのままの先生がのそのそと出てきた。 まだ眠そうに欠伸をしているところを見ると、起き抜けのようだ。 大方、俺の気配が近付いてくるのに気付いて起きてきたんだろう。「煤は?」 「昨日のうちに《煤祓い》たちが火種に追加したよ。おかげ様で篝火も元気元気」 「そうですか」 「なぁに。考え事?」 こつん、と戸に頭を預けながら、先生は何でもないような表情で聞いてきた。 なんでわかるんだ。 いつも思うが、この人の色のない目は、何を見ているんだろう。 俺は、考えることが苦手だ。 いつだって刀を振る事しか考えていないし、思考するとしたら夜住の倒し方くらいのもの。 それでもひとつだけ、いつだって考え込んでしまうものがある。「あの篝火は、俺でいいんでしょうか」 「なーん……またそれ
夜住に、決まった形状というものはない。 一般人にはただの黒いモヤにしか見えないその存在は、刀主の中でもハッキリ視認出来る者が居るかどうか。 俺だって、先生の角灯の光が届いてやっと、夜住の正しい姿が見えてくる程度だ。 斬り伏せた塗壁が、ザラザラと煤になっていくのを見守りながら、先程の夜住の姿を思い返す。 夜住は、人間の怨念や悔い、呪詛なんかが固まってしまった「呪いの怪異」のようなものだ。 同じ怨念が集まれば集まるだけ呪いは強まり、呪いが怪異へと進化してしまえば、厄介この上ない。 だから、流行り病が起きた時や、災害があった後なんかはただの刀持ちですらも忙しくなる。 刀持ちたちは、発生した怪異がどの程度の存在であるのかを判断する役目があった。 「怪異」であれば、まだいい。 刀持ちだけでも対処出来るから、怪我人や人死にが少なくて済む。 だがその怪異が夜住にまで進化してしまえば、対処出来るのは刀主だけだ。 俺は、夜住を斬った刀の煤を振り払って鞘に戻した。 さっきの夜住の──疱瘡のようにデコボコと貼り付いていた、小さな人間の顔面。 あれは恐らく、同じ病で死んだ者の呪詛が固まってしまったものだろう。 この路地の先には、過去に疱瘡患者を受け入れていた療養所の跡地がある。 療養所自体に呪いが湧いたせいで今は放棄されてしまっているが、夜住が湧くのは時間の問題だったのだろう。 可哀想に、とは思わない。 確かに病死した人間の感情なんてものは、夜住の大好物と言ってもいいだろう。 何故自分が。 どうして今なのか。 自分よりもアイツの方が悪いことをしているのに──等々。 この世界には様々な呪詛が存在するが、病からの死や、災害から病に転じてしまった者の呪詛は、思いの外強い。 死ぬまでに猶予があるのもよくないだろう。 苦しみの中で、健康な誰かを呪い、これから生きられたはずの人生を想い──そういう感情が、怪異の根源になってしまうんだ。「お兄ちゃーん、あっちの夜住も祓っておいたよー」 「ご苦労。そっちは、なんだった?」 「戸の怪異みたいなのだったよ。表面にいっぱい手の平の痕があるの」 大きな刀を振る小さな手をこちらに向けて、和穗は言
火族四家の当主となる者は、年齢性別問わずに刀に選ばれた者が指名される。 勿論、刀に選ばれるのは火族四家の血縁者のみだ。 しかし、もし当主として選ばれても、灯守に選ばれなければ夜住に対抗する力は得られない。 灯守の〝灯〟は、代々受け継がれていく刀にしか受け入れられないという。 実際に確認した事はないが、少なくとも灯守が力を与えるのは、当主の刀にだけだ。 当主は刀の主として選ばれる事で灯守の力を与えられ、夜住を討祓できる力を得る。 ただの怪異であれば普通の刀でも討祓出来るが、夜住に対抗出来るのは灯守の力を得た刀主の刀だけ。 つまりは、実質当主を選ぶのは灯守であり、当主は刀と灯守に選ばれてようやく戦える力を得るのだ。 ゆえに、当主は刀主と呼ばれる事もあり、各家の家門のはいった鍔と鞘がその証明となる。 今、俺の少し前を走っている少女の羽織にも、御神苗家の家門が仰々しく刻まれていた。 御神苗和穗は、まだ17の数え年にも関わらず次期当主として選ばれた少女だ。 刀は彼女の身の丈ほどもあるのに、和穗はそれを難なく振るって見せる。 彼女を前にしていると、普段ならば重いと感じる刀も恥ずかしく感じる程だ。《此処に在りしは、土の御子──》 どこからともなく聞こえてきた祝詞を受けるように、和穗が刀を振り上げる。 俺も、聞き慣れた声には今更視線を向けず、空を舞う先生の|角灯《ランタン》の先だけを追っていた。《礎の灯よ、夜を塞ぎ、道を築き、我が灯を以て穢れを鎮めよっ》 和穗の刀身が赤く光り、周囲を照らし出す。 それでも払えぬ闇は、即座にひるがえった和穗の刀が薙ぎ払った。 先生が示す先は、もう少し向こうだ。 俺は、和穗が祓った闇を飛び越えて、更に前へ前へ、進む。 夜住──この帝都に住まう、夜の闇の体現者。 その姿はただの真っ黒な塊であると言われているが、俺たち刀主は知っている。 本当の夜住の姿は、決してただ黒いだけではないという事を。『あ"ぁ……コロスコロス……コロス……』 先を封じる垣根を越えて、更にその先の真っ黒い壁へ跳ぶ。 真っ黒い壁は、先生の角灯の灯を受けても黒いままで、よくよく見れば蠢いても見え







